大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成7年(オ)1988号 判決

上告人

べーベーエス・クラフトファールツオイグテクニク・アクチエンゲゼルシャフト

右代表者社長

ハインリッヒ・バウムガートナー

右補助参加人

日本ビー・ビー・エス株式会社

右代表者代表取締役

小野光太郎

右補助参加人

ワシマイヤー株式会社

右代表者代表取締役

小野光太郎

右三名訴訟代理人弁護士

竹内澄夫

被上告人

株式会社ラシメックスジャパン

右代表者代表取締役

井上伸一

被上告人

株式会社ジャップオートプロダクツ

右代表者代表取締役

井上伸一

右両名訴訟代理人弁護士

大原義一

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人竹内澄夫の上告理由及び上告代理人兼上告補助参加代理人竹内澄夫の上告理由について

一  本件は、ドイツ連邦共和国において上告人により製造販売された製品について、上告人が、我が国において有する特許権に基づき、いわゆる並行輸入によりこれを輸入して我が国において販売している被上告人らに対し、輸入、販売等の差止め及び損害賠償を求める訴訟であるところ、原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

(1)  上告人は、我が国において、発明の名称を「自動車の車輪」とする特許権(昭和五八年一〇月二九日出願(一九八三年五月二七日の欧州特許庁への特許出願に基づく優先権主張)、平成二年一月一二日出願公告、平成三年一二月二〇日設定登録。特許番号一六二九八六九号)を有している(以下、右特許権を「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という。)。

(2)  上告人は、ドイツ連邦共和国において、本件特許発明と同一の発明につき特許権(一九八三年五月二七日同国等を指定国として欧州特許庁に出願、特許出願番号八三一〇五二五九・二号。一九八七年四月二二日登録)を有している(以下、右特許権を「対応ドイツ特許権」という。)。

(3)  被上告人ジャップオートプロダクツは、少なくとも平成四年八月ころまで第一審判決添付イ号製品目録記載の自動車用アルミホイールBBS・RS及び同ロ号製品目録記載の自動車用アルミホイールロリンザ―RSKを輸入して、これを被上告人ラシメックスジャパンに販売し、同被上告人は、少なくとも同月ころまで右各製品を販売していたが、被上告人らは、今後も右各製品を輸入、販売するおそれがある(以下、既に販売済みのもの及び将来販売予定のものを含め、右各製品を併せて「本件各製品」という。)。

(4)  本件各製品は、いずれも本件特許発明の技術的範囲に属する。

(5)  本件各製品は、ドイツ連邦共和国において、対応ドイツ特許権の効力発生後に、その実施品として、上告人により製造販売されたものである。

二  本件訴訟において、被上告人らは、本件各製品についての本件特許権は、上告人がドイツ連邦共和国において本件各製品を適法に拡布したことにより、その効力を失ったから、被上告人らの本件拡製品の我が国への輸入及び我が国における販売行為は本件特許権の侵害に当たらない旨の、特許権のいわゆる国際的消尽の主張をしている。

原審は、本件において、上告人は、自ら有する対応ドイツ特許権の実施品として、ドイツ連邦共和国において本件各製品を製造販売したものであって、上告人に発明公開の代償を確保する機会が一回保障されていたことが明らかであるところ、拡布の際に右代償確保の機会を法的に制約されていたとの事実は認められないから、同国における適法な拡布によって、本件特許権は本件各製品に関して消尽したと判断し、上告人の被上告人らに対する本件特許権に基づく差止請求及び損害賠償請求を棄却した。

三  上告人の被上告人らに対する本件特許権に基づく差止請求及び損害賠償請求がいずれも理由がない旨の原審の判断は、結論において是認することができる。その理由は、次のとおりである。

1「千九百年十二月十四日にブラッセルで、千九百十一年六月二日にワシントンで、千九百二十五年十一月六日にヘーグで、千九百三十四年六月二日にロンドンで、千九百五十八年十月三十一日にリスボン及び千九百六十七年七月十四日にストックホルムで改正された工業所有権の保護に関する千八百八十三年三月二十日のパリ条約」(以下「パリ条約」という。)四条の二は、「(1) 同盟国の国民が各同盟国において出願した特許は、他の国(同盟国であるかどうかを問わない。)において同一の発明について取得した特許から独立したものとする。(2) (1)の規定は、絶対的な意味に、特に、優先期間中に出願された特許が、無効又は消滅の理由についても、また、通常の存在期間についても、独立のものであるという意味に解釈しなければならない。」と規定している。右規定は、特許権の相互依存を否定し、各国の特許権が、その発生、変動、消滅に関して相互に独立であること、すなわち、特許権自体の存立が、他国の特許権の無効、消滅、存続期間等により影響を受けないということを定めるものであって、一定の事情のある場合に特許権者が特許権を行使することが許されるかどうかという問題は、同条の定めるところではないというべきである。

また、属地主義の原則とは、特許権についていえば、各国の特許権が、その成立、移転、効力等につき当該国の法律によって定められ、特許権の効力が当該国の領域内においてのみ認められることを意味するものである。

我が国の特許権に関して特許権者が我が国の国内で権利を行使する場合において、権利行使の対象とされている製品が当該特許権者等により国外において譲渡されたという事情を、特許権者による特許権の行使の可否の判断に当たってどのように考慮するかは、専ら我が国の特許法の解釈の問題というべきである。右の問題は、パリ条約や属地主義の原則とは無関係であって、この点についてどのような解釈を採ったとしても、パリ条約四条の二及び属地主義の原則に反するものではないことは、右に説示したところから明らかである。

2 特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有するものとされているところ(特許法六八条参照)、物の発明についていえば、特許発明に係る物を使用し、譲渡し又は貸し渡す行為等は、特許発明の実施に該当するものとされている(同法二条三項一号参照)。そうすると、特許権者又は特許権者から許諾を受けた実施権者から当該特許発明に係る製品(以下「特許製品」という。)の譲渡を受けた者が、業として、自らこれを使用し、又はこれを第三者に再譲渡する行為や、譲受人から特許製品を譲り受けた第三者が、業として、これを使用し、又は更に他社に譲渡し若しくは貸し渡す行為等も、形式的にいえば、特許発明の実施に該当し、特許権を侵害するようにみえる。しかし、特許権者又は実施権者が我が国の国内において特許製品を譲渡した場合には、当該特許製品については特許権はその目的を達成したものとして消尽し、もはや特許権の効力は、当該特許製品を使用し、譲渡し又は貸し渡す行為等には及ばないものというべきである。けだし、(1) 特許法による発明の保護は社会公共の利益との調和の下において実現されなければならないものであるところ、(2) 一般に譲渡においては、譲渡人は目的物について有するすべての権利を譲受人に移転し、譲受人は譲渡人が有していたすべての権利を取得するものであり、特許製品が市場での流通に置かれる場合にも、譲受人が目的物につき特許権者の権利行使を離れて自由に業として使用し再譲渡等をすることができる権利を取得することを前提として、取引行為が行われるものであって、仮に、特許製品について譲渡等を行う都度特許権者の許諾を要するということになれば、市場における商品の自由な流通が阻害され、特許製品の円滑な流通が妨げられて、かえって特許権者自身の利益を害する結果を来し、ひいては「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」(特許法一条参照)という特許法の目的にも反することになり、(3) 他方、特許権者は、特許製品を自ら譲渡するに当たって特許発明の公開の対価を含めた譲渡代金を取得し、特許発明の実施を許諾するに当たって実施料を取得するのであるから、特許発明の公開の代償を確保する機会は保障されているものということができ、特許権者又は実施権者から譲渡された特許製品について、特許権者が流通過程において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しないからである。

3 しかしながら、我が国の特許権者が国外において特許製品を譲渡した場合には、直ちに右と同列に論ずることはできない。すなわち、特許権者は、特許製品を譲渡した地の所在する国において、必ずしも我が国において有する特許権と同一の発明についての特許権(以下「対応特許権」という。)を有するとは限らないし、対応特許権を有する場合であっても、我が国において有する特許権と譲渡地の所在する国において有する対応特許権とは別個の権利であることに照らせば、特許権者が対応特許権に係る製品につき我が国において特許権に基づく権利を行使したとしても、これをもって直ちに二重の利得を得たものということはできないからである。

4 そこで、国際取引における商品の流通と特許権者の権利との調整について考慮するに、現代社会において国際経済取引が極めて広範囲、かつ、高度に進展しつつある状況に照らせば、我が国の取引者が、国外で販売された製品を我が国に輸入して市場における流通に置く場合においても、輸入を含めた商品の流通の自由は最大限尊重することが要請されているものというべきである。そして、国外での経済取引においても、一般に、譲渡人は目的物について有するすべての権利を譲受人に移転し、譲受人は譲渡人が有していたすべての権利を取得することを前提として、取引行為が行われるものということができるところ、前記のような現代社会における国際取引の状況に照らせば、特許権者が国外において特許製品を譲渡した場合においても、譲受人又は譲受人から特許製品を譲り受けた第三者が、業としてこれを我が国に輸入し、我が国において、業として、これを使用し、又はこれを更に他者に譲渡することは、当然に予想されるところである。

右のような点を勘案すると、我が国の特許権者又はこれと同視し得る者が国外において特許製品を譲渡した場合においては、特許権者は、譲受人に対しては、当該製品について販売先ないし使用地域から我が国を除外する旨を譲受人との間で合意した場合を除き、譲受人から特許製品を譲り受けた第三者及びその後の転得者に対しては、譲受人との間で右の旨を合意した上特許製品にこれを明確に表示した場合を除いて、当該製品について我が国において特許権を行使することは許されないものと解するのが相当である。すなわち、(1) さきに説示したとおり、特許製品を国外において譲渡した場合に、その後に当該製品が我が国に輸入されることが当然に予想されることに照らせば、特許権者が保留を付さないまま特許製品を国外において譲渡した場合には、譲受人及びその後の転得者に対して、我が国において譲渡人の有する特許権の制限を受けないで当該製品を支配する権利を黙示的に授与したものと解すべきである。(2) 他方、特許権者の権利に目を向けるときは、特許権者が国外での特許製品の譲渡に当たって我が国における特許権行使の権利を留保することは許されるというべきであり、特許権者が、右譲渡の際に、譲受人との間で特許製品の販売先ないし使用地域から我が国を除外する旨を合意し、製品にこれを明確に表示した場合には、転得者もまた、製品の流通過程において他人が介在しているとしても、当該製品につきその旨の制限が付されていることを認識し得るものであって、右制限の存在を前提として当該製品を購入するかどうかを自由な意思により決定することができる。そして、(3) 子会社又は関連会社等で特許権者と同視し得る者により国外において特許製品が譲渡された場合も、特許権者自身が特許製品を譲渡した場合と同様に解すべきであり、また、(4) 特許製品の譲受人の自由な流通への信頼を保護すべきことは、特許製品が最初に譲渡された地において特許権者が対応特許権を有するかどうかにより異なるものではない。

5 これを本件についてみるに、前記の原審認定事実によれば、本件各製品は、いずれも本件特許権を有する上告人自身がドイツ連邦共和国において販売したものである。そして、本件においては、上告人が本件各製品の販売に際して、販売先ないし使用地域から我が国を除外する旨を譲受人との間で合意したことについても、そのことを本件各製品に明示したことについても、上告人による主張立証がされていないのであるから、上告人が、本件各製品について、本件特許権に基づいて差止めないし損害賠償を求めることは許されないものというべきである。

原判決は、結論において右と同旨をいうものであるから、これを是認することができる。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に立って原判決の法令違背をいうか、又は原判決の結論に影響しない説示部分を非難するに帰するものであって、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大野正男 裁判官園部逸夫 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信 裁判官山口繁)

上告代理人竹内澄夫の上告理由

第一 はじめに―原審判決理由及び上告理由のまとめ

一 本上告理由書においては、第二、原審判決の重大な法解釈の誤り、第三、条約(憲法)違反、第四、他の分野の法律の解釈との整合性―重大な法解釈のあやまり、第五、重大な審理不尽、第六、国際的信義の違反―先進各国における国際的消尽論の現状―重大な法解釈のあやまり、として上告理由を詳述する。

二 原審判決の判決理由の要旨を整理すると、左記のとおりである。

(1) 特許の国内消盡説を正当化する、二つの理由、すなわち積極面では、商品流通の安定性の確保と云う一般的産業促進と特許権者の発明公開の補償(以下簡単に「特許利益」と云う)の確保と云う特許法独自の目的の調和をとる観点からすると、特許権者自体が主体的に製品を流通に投じた場合には、前者の目的の方を重く見るのが相当であると云うことと、消極的面では特許権者は、特許利益の取得の機因は、製品を最初に流通市場に投入する際に充分に行使できるから、二度機会を与える必要はない、と云う考えは、国際間の商品流通にも妥当する。前者の理由は、つまるところ、特許製品が一度商品流通の中に投入された後は、自由に流通しないと、中間業者や消費者が、商品を買う都度、特許侵害の有無を調べて、特許権者に使用差止めを受けないように用心しなければいけないので、煩わしいし、実際に転売や使用を差し止められると、商品の流れが、特許権者の恣意によって止められるので、好ましくないと云うことであろうが、翻って考えるに、日本の特許法のもとでは、特許侵害品の購入者、ユーザーも、少なくとも、「業として」(営利目的で)購入しこれを使用しまたは転売する限り、侵害品の製造者と同様に特許侵害の責任に関わるのであるから、常に、当該製品が侵害品であるかどうかを一応調べる必要がある、という意味では、この点は、特許消盡論の根拠としては、必ずしも絶対的とも言えない。また、特許権者が、原則として、商品の産出及び流通の流れを意のままに止められると云うのは、排他性を核心とする特許権に内在する不都合、不便(他の者にとっての)とも云えるのである。

(2) 右の考えを法的側面から裏付けると、日本国外で生じた事象を日本国内の特許の成否、効力等の判定に取り入れても、それは、単に、日本国内法の解釈に過ぎず、所謂、各国の国内特許の属地性TERRITORIALITY(属地主義―地域性とも言われる)と独立性を定めたパリ条約四条の二に違反しない。

(3) 更に、右(1)(2)の判断の結果生じる副次的効果として、並行輸入は、国内での競争をうながし、所謂内外価格格差を解消し、国民、購買層には利益になる、と言う効果もある。また、国際的消盡論の根拠である「特許利益の二重取りの防止」が妥当しない場合、例えば、国外において並行特許権者が、強制実施権(法定実施権)の設定により、特許利益の回収の機会を奪われたり、減じられた場合は、国際的消盡論の例外として、特許権者は、なお、並行特許の排他力を行使できると考えるべきであるが、被控訴人(上告人)が、右の例外に当てはまる、と言う根拠も示されていない。第二以下、各章において、これらの判決理由を点検し、その違法性を論証する。

第二 原審判決の重大な法解釈の誤り―違法

一 「二重利得防止論」の誤り

(1) 原審判決が、特許の国際的消盡論を少なくとも経済的観点から正当化する最大の根拠は、右に述べたように特許権者は、複数の国に並行特許を持っていた場合には、その内の何れか一国を選んで、特許により保護された製品を市場に最初に投入すれば、特許の独占的、排他的効力により、できるだけ高い価格を設定し、販売することにより、特許制度が発明者に保証する「発明公開の補償として発明及び技術開発に対する投資の回収」をすることができるから、他国において特許保護の「二重取り」を与えられる必要は無い、と言うことである。その正当化の前提としては、並行特許の所有者乃至実施権者が「特許保護を受けている国」のいづれかで、最初に並行特許製品を市場に発売すると言う要件がある。そうでなければ、二重取り防止論が成立しないのである。(ジュリスト・一九九五年四月一日号田村善之論文「並行輸入と知的財産権」)試みに、さまざまな情況を想定して見ると、二重取り防止論が、整合性と予見可能性の内在を基本とすべき法律解釈論としては、様々な矛盾と混乱を生起せしめることが明らかである。

(2) 様々な想定例

想定例1(輸出国において並行特許がない場合)

(一) 例えば、本件上告人(ドイツBBSと略称する)が本件アルミホイル製品について、日本では特許を取れたが、ドイツ本国でも、その他の国でも、特許をもっていなかったとする。特許がとれなかった理由は、主として、

(1) はじめから出願しなかった。

(2) 出願したが、特許庁の査定により特許がおりなかった、その理由は、

(イ) 特許された先行技術があった。

(ロ) 既に公知公用になっていた。

(3) 途中で、何らかの理由で出願を中止した。

(4) 特許が取れた後に、放棄、年金不納などにより、効力を失った。

などが考えられる。

(二) ドイツ・BBSは、この自らの並行特許不在のドイツで、ホイールを生産したとする。

その場合、(1)他社の特許もない場合(右の(2)の(ロ)の場合)と、(2)他社の特許がある場合(右の(2)の(イ)の場合)とが考えられる。右の(2)の他社の特許のある場合、ドイツBBSは特許権者から実施許可を得ることが仮に出来ても、相当の実施料を払わなければならない。実施料が5パーセントだと仮定すると、ドイツで製造すれば、5パーセントだけ割高になる。一方、マレーシア、中国では(イ)労賃が安く、しかも(ロ)特許もなく、(ハ)日本に近いから、従って日本向けの輸出の生産基地には最適であるとする。この場合、右の様な様々な要因を考慮に入れて、商品の製造者(メーカー)は、生産地を決定するのである。その際、日本が市場としては、最大の市場だとする。しかし、日本で生産するには、生産コストが高い(土地が高い、労賃が高い)と言う事情が存するとする。

そこでメーカーとしては、日本では直接に生産することを避けながら、しかも日本では自らの特許権により保護される故に市場を独占出来るということを唯一最大の頼りとして、生産自体は、特許のない他国で(例えば、マレーシア、中国、さらにはドイツで)、生産した製品を日本に輸出してくるとする。その場合でも、日本に対する並行輸入が許されるかが、問題となるが、いわゆる権利の「消盡論」(正確には、「二重取り防止論」に基づく)は、輸出国と輸入国の両国で、特許のある場合だけに妥当し得ることは明らかである。(田村善之、前掲論文)右の例では、もし、ドイツで製造するとすれば、もともと、ドイツに特許はないから、「消盡」する権利がないと言える。右の想定の場合は、それどころか、当該の自動車ホイールについて、先行の特許権を所有する第三者に5パーセント(仮定的であるが)を支払わなければならない。「二重取り論」は完全なフィクションとなってしまう。(「二重取り」論は、もともとフィクション性が強い、「NB」一九九五年三月一五日五六五号二九ページ小泉直樹前掲論文)

(三) つまり、「二重取り防止」を根拠に並行輸入許容論をとりながら、しかも、メーカーは製品を或る国において最初に販売した場合に、その国に特許があっても無くても、一度その国の市場において流通におけば、自社特許(並行特許)が存在する他の国でも、特許の排除力を失うことになると言う理論構成は、自己矛盾を起こすことになってしまう。(尤も、過激な国際的特許消盡論のなかには、そこまで極論する説もあるが、特許制度自体を否定することになりかねない。)

想定例2(輸出国において並行特許がある場合)

(四) 原審判決の論理に従って、本件において、ドイツで特許が成立していれば、「特許による独占利益の二重取り」が起こると想定した場合、更に左のとおり、錯雑し、且つ混乱した状況が生じる。

(1) 前述の如く、世界各国においては、少なくとも、原審判決日の時点において(そうでなければ、将来的な政策論議になり、司法判断としては、誤りになる)、制度的に、特許制度を構成する各部分規定、即ち、より具体的には、特許成立要件、特許期間、特許維持管理要件等の実体要件、審査手続、行政的手続きと司法手続きとの権限の配分等について、差異が存することは、原審も認める公知の事実である。

(2) その場合、当該製品について、最初の販売国(例えば本件においてドイツとしよう)において、「特許が成立していた事実」即ち、特許権による独専的利益を得るための法律的根拠は、いつ発生し、消滅するのか、また、それにより、その製品に関する輸入国(本件においては、日本)の特許権は、いつ特許権の核心である排他力を少なくとも、相対的に(即ち並行輸入製品についてのみ)失うのかを、仔細に、分析的に検証する必要がある。(この点は、前述のとおり製品の購入者・使用者が第三者の特許の侵害にならないように一般的に注意すると云うわづらわしさは、特許制度に内在するものであるが、外国の事情は更に調べにくいから、わづらわしさも増えるのである)。何故なら、そうしなければ、輸入国日本において、個々の製品が、どの国で、何時に、最初に発売された時点において、特許消盡したとして、関税法上の「水際輸入差止」の対象にならなくなるのか、司法的な輸入、販売禁止の仮処分及び命令本訴の不作為の命ずる判決の対象にならなくなるのか、判定できないことになるからである。この際、重要な点は、特許権が消盡されるという場合、具体的には個々の製品に化体された特許権が、失効するという事態になって、画一的に表れるということである。即ち原審判決の理論によれば、「特許利益の二重取り」というがためには、個々の製品において、「特許利益」が化体されていなければならないが、製品の製造販売により、特許利益を回収する場合、回収は、一回の製造、販売により瞬間的におこなわれるのでなく、長期間にわたって、製造、販売される個々の製品、商品に「上乗せ」されて、回収される必要があるから、「二重取り防止論」の「最初の一回の機会」は、「点」ではなく「線」として現れる筈である。(しかも、利益の回収は、市場動向によって、当初厚く、後にうすくなるように価格設定をすることもあろうし、その逆もあろうから、特許期間中にわたって、平坦に均等に行われるわけではない)そうとすると原審判決が採用する消盡論も、個々の製品についてのみ適用されるべきである。しかし、将来的にも、特許権者、しかも、将来の実施権者も、同一類型の製品を「並行輸入」を妨げられないと云う負担を負ったものとして、市場に出さざるを得なくなるわけであるから、その意味で、消盡論は、現実問題としては立法的であり、個々的な司法判断の域を越えるものである。

(3) さらに特許が、期限切れによって消滅した場合は、並行特許権者の「特許利益を得る機会」が制度的に失われることは、自明である。各国の公正競争法規上、特許実施契約において、特許権消滅後も、実施料を徴集するという条件を課そうとすれば、不当な拘束条件として公正取引法上、違法となる(日本では、公正取引委員会のガイドライン参照)。更に、特許期間が切れれば、他の競争者が自由に市場に参入できるから、並行特許の所有者は、特許による利益の上乗せが、少なくとも将来的にできなくなるのである。

(五) 従って、先づ、次のような矛盾が生じる。

(1) 本件において、ドイツ特許が期間満了により消滅した後も、日本の並行特許が有効に存続している場合は、ドイツの元特許権者は、日本に対する並行輸入を阻止できるのか。後述の如く、日本特許は、二〇〇三年に期限が切れることは、上告人が改めて述べる迄もなく原審記録からも明らかであるが、この様な事態は、日本の出願が、パリ条約による優先権を主張した上で、少なくとも、ドイツ出願より後に出された場合に、容易に生じ得るし、更に、日本の審査手続きが、ドイツの審査手続と比較して、出願後7年間の審査請求期間、三カ月の間の公告期間、異議申立の制度等の、制度的な遅延の原因、及び事実上の審査の遅延を考慮すれば、少なくとも、数年の差異は、容易に生ずるのである。事実、本件においては、一方において上告人のドイツ特許は、一九八三年五月二七日に欧州特許機構(EP)に対するヨーロッパ特許出願として出願され、一九八七年四月二二日に登録され、二〇〇三年五月二七日に期間満了により消滅すべきところ(ウルグアイ・ラウンドのTRIPS交渉の結果各国の特許期間が出願日から二〇年に統一化された場合を想定すると)、他方日本特許は、パリ条約に基づき優先権を主張して、一九八三年一〇月二九日に出願された上、当初、審査段階において拒絶されたがために、審判において論議を尽くした後、ようやく一九九〇年一月一二日に公告決定になり、一九九一年一二月二〇日に特許が成立したものであり、その有効期間は二〇〇三年一〇月二九日(出願日から二〇年)に切れることが明らかである。即ち、ドイツでは特許が切れたのに、日本では特許が残っているという事態が、二〇〇三年五月二七日から同年一〇月二九日まで続くことになる。(もっとも、現実には、上告人の欧州特許及びこれに基づくドイツ特許等の国内特許は一九九三年五月二七日に特許が切れていた。―後出甲号証・ドイツ弁護士からの手紙参照)。因に、日本の特許審査が遅れ、公告決定が遅れたため、登録日が、ドイツ特許よりも四年も後だったにもかかわらず、現行法下では右のように、約五カ月の差しか生じなくなるのは、いわゆるガット・ウルグアイラウンドのTRIPS協定により、各国の特許期間が出願日より二〇年間とすることが、多国間条約において合意され、その条約により各国の国内立法より、特許期間が統一化されるためである。このように各国の特許実体法が統一化されても、なお、各国の特許は独立であり、現実の特許期限の終期等の重要な点に差が残ることになる)

(2) ドイツ特許が切れれば、上告人の発明は、公知公有の技術製品となり、競争社会にさらされるのである。それ以後、上告人の「特許利益を得る機会」は当然失われるのである。この点で重要なことは、第三者とのライセンス契約による特許ロイヤルティーを受領する権利も、当然、失われる事になるから、特許権者が特許利益の取得の機会を奪われるのみならず、実施権者も特許の排他力の恩恵を受けられなくなるから、それ以後、実施権者の造る製品には、特許権の利益を上乗せできなくなることである。(なお前述のように、特許期間満了後もロイヤルティの支払義務を課せば、ドイツ、日本及びその他の先進諸国の競争法規のもとでは、「特許権」の範囲を越えた違法な特許権の乱用として、無効とされる。いわゆる、スリーピングロイヤルティーの違法性として論じられる(公正取引委員会ガイドライン参照。)

そうなれば、原審判決の論理によれば、ドイツ特許消滅後は、日本への並行輸入は、日本の残有並行特許により、差止めることができることになる。この様にして、ドイツ側から見れば、特許期間が切れた後の方が、外国における並行特許の効力、即ち排他力が増大するという、誠に逆説的な事態が生じてしまう。(前掲、田村、小泉論文もこの点を指摘する)原審判決は、この重大な矛盾を全く論じていないし、審理した跡もない。この点に関する原審の重大な審理不盡及び、これによる法律違反が判決に重大な影響を及ぼすことは明らかである。

(3) 右に反し仮に、ドイツ特許消滅後は、日本の特許も、少なくとも相対的に且つ部分的に、即ち、並行輸入品については、一律に失効すると解釈するとすれば、パリ条約の基本原則の一つである各国特許の独立性、属地性の原則に反することになる。即ち、原審判決の論理により、「外国の特許権の効力が国内消盡論により権利として失効したことを理由とするのではなく」て、「外国において発生した事象により、日本の特許の効力が影響されることは、日本の特許法の規定自体にも見られる」ということを、仮に認めたとしても、外国特許権がその期間の満了により消滅したことにより、日本の特許が、少なくとも部分的に、相対的に、特定のカテゴリーの製品乃至方法について、一律に、しかも、将来に向かって、外国において後に販売される製品についても否定的効力が及ぶという意味において、規範的に、つまり、具体的な事件におけるその他の個別的要因、例えば、地域的な競争条件、生産条件、流通条件等を司法的に考慮し、判断せずに、失効せしめられるとすれば、右のパリ条約違反となることは明らかである。

(4) なお、前述の原審判決が例示する「外国において生じた事象が日本の特許の効力に影響を及ぼす場合(特許法第二九条の一項三号のいわゆる「外国文献公知」の場合)は、万人が認識し得る客観的事実であるのに反し、その他の態様における「外国における公知公用」(特に特許出願人自らによる外国における使用)が、特許性喪失の理由として規定されていないことを合わせて考慮すると、文書刊行物による発明情報の確認容易性と国際間の伝達の速さを特に考慮の上、国内公知として例外的に新規性排除の理由としたと考えるのが自然である。従って既に厳格な特許性審査の後に与えられた日本特許を、外国であるドイツ市場における最初の発売という特許権者の例外的な主体的な行為を根拠として、日本における対応特許権の放棄という意思を擬制的に認定し(ドイツの並行特許権者が、常に他国でのその後の並行輸入をすべて事前に容認する意図をもって、外国で自社の製品を発売するということは、商取引の実情を無視したフィクションに過ぎない)、相対的に失効せしめるという司法判断は、立法論としても妥当性・安定性を欠くし、個別論としても、具体的事実に即して行われるべき司法判断の領域を越える不健全な判定である。

(5) ひるがえって考えるに、そもそも、外国における特許製品の発売という単一の事実をとらえて、それによる特許の国内消盡論による部分的失効という「法律的効果」と、「発売という(非法律的)事象」を取り分けて、後者に立脚して日本特許の部分的失効を判定することは、裁判所が日本国内法の解釈としてできることであり、従ってパリ条約の「特許の独立性」と「属地主義」に抵触しないと言う論理は、詭弁的な論理というべきであり、実態は、明らかに日本の特許法に関する司法判断としては逸脱しており、後述のとおりその違法は判決に重大な影響を及ぼすパリ条約違反であり、更に、国際条約の遵守を定める日本国憲法九八条に違反するものである。

(6) しかし、この様にして、パリ条約違反を避けるため、ドイツ特許が期間満了により消滅した後も、それと無関係に、日本特許の排他力を認める立場をとった場合は、直ちに、次のようなディレンマに立ち至る。

(イ) 即ち、仮に想定される状況として、例えばドイツのメーカーとしては、一方において日本市場が増大し、しかも、価格条件がメーカーに有利に展開し、他方において、生産地としてのドイツの経済性が、労働市場における労賃の高騰、労働人口の減少、環境法規制の強化等の事後的事態の発生により、失われたために、ドイツ以外の第三国(しかも並行特許のない国)(例えば中国としよう)に生産地を移動した場合、「特許利益の二重取り」の防止を根拠とする原審判決の理論によれば、その後に販売される中国産の製品は、日本における並行輸入を禁止されることになる。何となれば、ドイツにおける最初の販売により、それ以後、「特許利益」の二重取りの機会を失ったとしても、中国市場で生産販売する場合は、そもそも「特許独占」の立場がないので、「一回目の機会」もないことになるからである。この場合に、なお且つ、「二重利得の防止」の理解が、妥当性をもつものとして維持され得るのか。もし、維持されるとすれば、日本の特許の効力、排他力が、他国(しかもパリ条約加盟国とすれば)のメーカーが、生産地を移動する都度、相対的部分的にせよ、並行輸入について、失効したり、再生したりするという、極めて不安定的な、しかも、製品のユーザー、購買者にとって、極めて耐え難い不便をもたらすことになる。しかも、並行特許権者が、ドイツと中国の両国で製品を製造し、国内市場で販売した場合、日本に輸出された並行輸入品が、合法的になったり、違法になったりする結果になる。更に、WTOの設立、TRIPSにより知的財産権法の国際的統一等の動きが、目指す目標の一つである。いわゆる「不正商品輸入阻止の水際作戦」の現場で、大量の通関審査の作業に当たっている日本、ドイツ及びその他の先進国の関税当局に殆ど耐え難い負担を強いることになる。大量に輸入される商品の一つ一つについて、生産地(二重取り防止論からいえば、正確には最初に製品を発売した市場のある販売地というべきであろう)、生産時期は何時か、生産者は誰か、生産者が外国特許及び日本特許の双方の並行特許権の所有者でない場合は(しかしそれを確認する手間もかかる)、その生産者(輸出者)が、合法的なライセンスその他の特許使用許諾を受けたうえで、生産・販売したものかどうか、などの確認作業を強いられることになる。(因みに、契約上の要求は別として、日本法においては、実施権表示をしなくても、特許自体が失効することはない、という意味で、実施権表示は強制ではないから、日本に陸揚げされる製品の外部表示からだけでは、正法なライセンシーが製造したものか、どうか判別できない)

(ロ) 更に、進んで右の(イ)と同じ仮想的状況において、第三国にメーカーが生産地を移すとともに、ドイツ特許権を放棄した場合は、どうなるか。仮にその場合は、メーカー自身が、主体的に、権利放棄をしたのであるから、日本の並行特許を相対的に、部分的に、一律に、失効させてもやむを得ない、という立場をとったとしても、メーカーが過失により、特許料を納付しなかったために、ドイツ特許が失効した場合は、どうなるのか。メーカーの故意過失を、日本の司法機関、行政機関、ユーザー、善意の輸入者か、その都度判断しなければならなくなるのか。しかし、原審判決は、この様に二国間の特許制度の効力の維持、消長に基本的に影響する、諸々の事態の発生及びその効力に全く考慮を払わず、いわんやこれらを分析的に検討し、原審自体高らかに掲げる「国際市場における商品の自由な、合目的的流通を確保し、促進する」ための指標を全く示していないのである。そうである以上、原審判決の、審理不盡、特許法の正しい解釈、適用の懈怠の違法は明らかであり、それらが判決に重大な影響を及ぼすことも明らかである。

(7) なお、原審判決も、並行輸入が許されない場合として、最初の生産、販売地の法令等の規定により、特許権者が、自由な判断により、最初の販売の時に、特許利益を回収し得るに充分な反対給付を得られなかった場合を掲げ、その典型的例として、各国の特許法に見られるいわゆる「法定実施権」乃至「強制実施権」の規定により、特許権者が、第三者に実施権を付与することを強制された場合をあげている。しかし、この例外の摘示も、極めて、大雑把なものであって、司法的な検証に耐え得るものではない。理由は左のとおりである。

(イ) 原審判決も前提として認めているように、先進各国の特許法において、様々な態様において、強制実施権の規定がおかれているが、その共通の場合として、特許権者が特許権を一定期間、理由無くして、実施しなかった場合があげられる。しかし、パリ条約(四条二)に基づく特許の独立性及び属地性の原則により、特許の不実施による消滅乃至は実施権付与の強制は、各国ごとに独立に判定され、付与されることになる。例えば、A国において、不実施であっても、B国において実施していると見なされれば、B国の並行特許は強制実施権法上何ら影響を受けないことになる。更に、現状においては、並行特許の所有者は、それぞれの技術水準の相違、市場構造の相違等の理由により、特許権者の本国であるA国で生産・販売するよりは、自らに有利な他国B国を選んで、先に生産・販売を開始し、または、最適のライセンシーを選んで生産・販売せしめ、その後の事態の推移に応じて、本国A国においても、並行的に生産・販売を開始し、さらには、全面的にA国に、直接または間接に(即ち第三者に対するライセンス付与により)、製造、販売を移すこともあり得る。この全面的生産移行の場合、原判決の容認する意味での特許権の国際的消盡論によれば、B国における最初の製造・販売の時点において、本国A国に対する並行輸入(輸出)は、A国における特許の実施と見なすことになるのか。(後出小野昌延博士の鑑定書によれば、ヨーロッパでも、様々な取扱いがなされている)特許権独立の原則からすれば、この問題の回答は、本国A国の特許法に専権的に属することになろう。しかし、各国の法制の下で、「実施」の概念は、少なくとも、特許権者の主体的意思に基礎を置くものであり、A国市場における特許製品の並行輸入(つまり特許権利の意思に反する)による流通が、その意味で特許権者の主体的意思、決定により、生じたものであると、考えるのは、不自然である。そうすると、本国A国においては、特許の不実施を理由とする行政的乃至司法的公権力による強制実施権の設定が生じ得ることになる。(前掲小野鑑定書によれば、ヨーロッパには、そのような取扱いの国もある)そうなれば、前例の場合と同じく、A国産の強制実施権製品は、並行輸入を許されず、B国産の製品は、並行輸入を許されると言う、誠に混乱した状態になってしまう。

(ロ) しかも多くの国において、強制実施権は、有償であり、その実施権の対価ロイヤルティーは、所轄の機関による公正な審理を経て、公正な、「あるべき市場価格」において設定されるのと期待されている。即ち、原審判決の予想する「特許権者の自由な判断による」ロイヤルティーの設定と同等であると期待されている。むしろ逆に、通常の実施権の設定の場合、特許権者と実施権者との間の力関係に応じて、特許権者は、望ましい額のロイヤルティー(乃至その他の対価)より低い額を受容しなければならない場合も生じよう。当事者間の交渉と約定による実施権の場合と、強制実施権の場合をカテゴリーとして区別し、一方では、並行輸入を許容することにより「特許権の対価の二重取り」を禁止し、他方では、並行輸入を禁止することにより、「二重取り」を許すと言う論理は、具体的個別的情況を捨象して、法律が一般論として、建前として、「公正な価格」と予定する強制実施権の対価の正統性(レジチマシー)をも無視したドグマテックな恣意的な論理となってしまう。さればとて、特許権者が、自らの自由意思を曲げてまで強制実施権の付与を強いられたのか、どうか、を具体的に、個々的に、司法判断することが合理的な選択だとすれば、原審判決が判示するように、一般論として「二重取りの防止」と言う政策論を前提にして、これを特許権の一般的排他力を制約する要因として導入することは、相互に矛盾することは明らかであり、この重要な点を等閑視して、曖昧なままに、実質的に「国際的消盡論」を採用することは、普偏妥当性、予想可能性を不可欠の要素とする司法的判断、とりわけ確実性、正確性、安定性を制度の根幹とする(特許の出願日の判定の厳格性に典型的に表れる)特許法と言う伝統的な産業的立法の解釈としては、妥当性を欠くものである。その解決は、むしろ、これらの諸要因を分析し、類型化し、予測可能性を与える立法に委ねるべきものであり、(小野昌延博士鑑定書、「知的管理」一九九五年七月号本柵照一「特許製品の並行輸入と特許権の国際的消盡について」、等立法論に親しむとする説が多数である)精々、情況的な柔軟な判断に親しむ公正競争法等の、より一層経済法的な分野における司法判断にまかせるべきである。また、特許権の不実施による強制的実施権の場合に、一概に特許権者の意思に反すると言えるかどうかも、不実施が特許権者の意思的選択による場合は、極めて疑問である。更に、仮に特許権者が、「自由な意思による特許価値の回収、取得」が妨げられたとして、なお輸入他国における並行輸入阻止権を認められると仮定しても、特許権とは別に、強制実施権を得て製造販売したライセンシーは、少なくとも、製品の最初の販売価格を特許権の庇護を受けながら設定できる訳だから(強制実施権は、特定の者に与えられるのであって、万民に同時に一般的に、自動的に与えられるのではない。日本特許法第八三乃至九一条の二参照)、その意味で、特許利益を得る機会を一度は与えられているのであるから「二重取り」は許されない筈であり、そうなると、特許権者と実施権者の製品をそれぞれ区別して、並行輸入の可否を決めなければならなくなり、原審判決が、終始、「特許権者または実施権者」と並べて二者を同一視しつつ、「二重取り」論を論じていることと矛盾して来る。

(ハ) 右(ロ)の場合において、仮に本国A国における強制実施権が設定され、そのことが、特許権者の自由意思に反して行われた場合、並行輸入国である他国C国における並行特許の所有者は、同じく他国B国における最初の発売によって、C国の特許の効力を相対的に失ったままになるのかも、疑問である。B国における製造販売を全面的に中止し、A国に製造・販売活動乃至ライセンス生産を移した場合、並行特許の所有者は、何時の時点において、どの国における製品の製造販売により、特許権の国際的消盡を惹起せしめる根拠となる。「特許権の対価を充分取りつくした」ものと擬制的に認定される結果になるのか、さらにまた、B国における直接、間接の製造販売を続けながら、しかも、A国において強制実施権の設定を強いられた場合は、前述のようにC国(例えば日本)に対する並行輸入品は、B国産の製品は、並行輸入を許され、A国産の製品は並行輸入を禁止されるのか。これらの疑問に対して、原審判決は、全く、具体的に考慮せず、いわんや分析的に明確な判断の基準も示さず、唯々、特許権の対価の「二重取りを防止する」と言う単純な判断基準を以て、一刀両断的に、実質的に、国際的消盡論を正当化している。判決に重大な影響を及ぼす違法な判決理由であることは明らかである。

想定例3(特許が出願中の場合)

(六) 前記二例において、主として、特許品のメーカーの本国、輸出国における並行特許の成立後の消長の場合を論じたが、更に、特許権の成立にいたる出願過程における、並行特許(出願)の所有者の最初の製造販売行為が、国際市場において、輸入国(並行輸入国)の並行特許権に如何なる相対的効果を及ぼすかを検討すると、同様に、正確、詳細な分析判断を要するに拘わらず、原審判決が、全くこれを怠り、安易に特許権の国際的消盡を容認していることが、明らかである。左記にこの点を詳述する。

(1) 特許権が未だ出願中である場合はどうか。先端的技術の場合、往々にして、特許出願中においても、並行特許の出願人は、当該発明にかかる製品を、直接に製造・販売し、または、第三者にライセンスを与えて間接的に製造・販売することがある。その場合、既に並行輸入国において、対応特許が成立していたならば、(例えば、本件において、上告人の日本特許の方が先に成立していたならば、出願人は、日本における並行輸入を止めることができるのか。「二重取り防止論」によれば、輸出国の特許が成立していない間は、前述の「特許の無い国」からの輸出と同様に、並行輸入を禁止することにしなければ、論理的整合性が保たれないことになる。しかし、産業界の実務において、特にライセンス契約の場合、ロイヤルティーの料率乃至額が、特許出願中も、特許成立後も、変わらない約定になっている場合も多い。その場合は、特許発明の使用の対価は変わらないにも拘わらず、本国、輸出国における特許の出願中に、製造・販売された製品は、輸入国において並行輸入を禁止され、逆に、特許成立後は、「二重取り防止論」によって、並行輸入が許容されると言う、誠に逆説的な、更には、価値錯倒的な結果になってしまう。

(2) さりとて、当該特許の出願中のロイヤルティーと特許成立後のロイヤルティーに、多寡を問わず、何らかの差異を設けた場合のみ、並行特許権者が、特許権にもとづく排他独占的地位により、自由に特許権の対価を取得したものと認定して、そのことによって並行特許権者の「二重取り」の権利を奪い、ひいては、輸入国における並行輸入を許容せざるを得なくなるとすれば、特許出願中と特許付与後のそのロイヤルティーや対価の差が微かである場合に、均衡を失することになることは明らかである。いわんや、並行特許権者が、自ら出願中に当該発明にかかる製品の製造・販売を開始し、その後、製品価格の値上げをした場合に、特許成立の時点を境にして、それ以前は、市場の情況(例えば、賃金の高騰、原料の値上げ、商品の著しい人気化、売り手市場化)の変化による値上げと認定し、特許成立後の値上げは、「特許対価」の上乗せによるものと画一的に認定することは妥当でないし、具体的に個別的に認定することは、恣意的になり、並行輸入国における並行特許の相対的効力の判定を極めて、不安定、且つ、情況判断的にする結果となり、特許権の確実性、正確性をゆるがすことになる。

(3) 更に、特許出願が、公告になり、異議申し立てを受け、拒絶査定を受け、後に、上告審において、特許査定を受けると言うような、特許性、特許成立の見通しが、段階的に、経時的に、増えたり減ったりした場合に、輸入国における並行特許の相対的効力は、どのような影響を受けるのか、受けるべきかの点についてもこれを画一的に判定すれば妥当性を欠き、個別的に判定すれば、安定性を欠くと言うディレンマに陥ってしまう。また、そもそも、これらの点を慎重に考慮までして、「二重取り防止論」を貫徹すべきかどうかも、極めて疑わしく、且つ重大な問題である。

(4) しかるに原審判決は、これらの点を全く考慮せず、釈明権も行使せず、事実審理もしていない。判決に影響を及ぼす、重大な違法が存することは明らかである。

想定例4(特許権の譲渡等、権利者が変わった場合)

(七) 更に、考えられる場合として、並行特許権者は通常は同一人である場合が想定されているが、後発的に同一の者でなくなった場合はどうか。

(1) 本件では、上告人ドイツBBSが、ドイツ特許の保護の下に並行特許品をドイツで製造販売したが為に、「二重取りを防ぐため」、日本特許法の適用上、日本における並行輸入を排除することができないと判定された。しかし、ドイツBBSが他の第三者にドイツ特許を譲渡移転した場合はどうか。または、日本の並行特許を譲渡移転した場合はどうか。日本特許の譲受人は、譲渡人のドイツBBSがドイツで特許製品を発売したために並行輸入排除権を失っていると云うマイナス価値の負担つきで、日本特許を譲受けたことになるのか、その結果、譲受人(原審判決が特許権者と利害同一とするライセンシーでない)は、ドイツBBS製のホイールの並行輸入を止められなくなるのか。ドイツBBSのドイツでの発売以前に第三者が日本特許を譲受けた場合は、譲受人は、もはや特許権者でなくなったドイツBBSがドイツで製造販売した製品(譲受人のドイツ特許の侵害になる場合は別として)の日本における並行輸入を阻止することができると考えるのが当然であるから、ドイツBBSがドイツで製品を発売した後に日本特許を譲受けた場合にのみ、並行輸入を認めるとすれば、単なる譲渡の時間差により重大な結果を生ずることになり均衡を失することは明らかである。しかも、各国の特許実務の現状では、譲渡による特許権利の名義書換手続きの難易度と、所要時にも、かなりの差があるから、差別的に取扱いが極めて不安定になる。

(2) ドイツBBSがドイツ特許と日本特許を全く別の第三者にそれぞれ譲渡した場合はどうか。もし、これらの場合に日本特許の下における並行輸入の取り扱いに差を認めるとすれば、ドイツ特許権の主体的変更が、日本特許の効力(並行輸入品に対する排他力の一律的喪失)に影響を及ぼすことになり、パリ条約の「特許独立性」及び「属地性」の原則に反する恐れが極めて強いと言わざると得ない。のみならず、商品の国際流通の混乱を招き、国際取引円滑化の阻害となる。このようにして、原審判決の理由の齟齬、違法は明らかであり、それが判決に重大な影響を及ぼすことも明らかである。

第三 条約違反―パリ条約違反―憲法違反

一 原審判決は、パリ条約第四条の二に定める特許権の独立及び属地主義の原則を認めながら、国際的消盡論を認めることは、日本特許法の解釈として、特許権独立の原則に違反しない範囲で行うことができると認定している。その認定の実質的根拠の一つが、「特許権の対価の二重取りの防止」と云う経済政策的理論であり、その立論に多々矛盾があることは、前述の通りであるところ、更に、原審判決の立論が、特許権独立の原則と地域性(属地主義)の原則に反することを左に改めて整理して論証する。

二 原判決はこの点につき次のとおり判示する。

「すなわち、この特許独立の原則は、特許権の成立、効力、消滅等は全て各国ごとに独立であり、自国の特許権に対して、他国における特許権の変動が何らの影響をも与えるものではないことを規定したものであることは、その規定内容に照らして明らかなところである。したがって、甲国における特許権が同国内における特許製品の適法な拡布によって当該製品について消尽したことにより、同一人が有する甲国における右特許権と同一内容の乙国における特許権も当該製品について当然に消尽するとの理由で特許権が国際的に消尽すると解するならば、かかる見解は特許独立の原則に反することは明らかである。

また、属地主義の原則についてみると、同盟国の国民に対する内国民待遇の原則を規定するパリ条約二条や前記四条の二の規定等に照らすと、我が国の特許法も、同法の適用及び効力範囲を我が国の領域内に限って認める旨のいわゆる属地主義の原則を採用していることは明らかである。したがって、他国における特許権の消尽による当該製品についての特許権の消滅が当然に同一製品に関する自国特許権の消尽による消滅をもたらすとの理由で特許権が国際的に消尽すると解するならば、かかる見解は属地主義の原則に反することになる。

このような意味での特許権の国際的消尽論は誤りであって、当裁判所の採用するところではない。

しかしながら、特許独立の原則及び属地主義の原則に照らすと、我が国の特許法によって成立した特許権の効力は我が国の特許法の解釈によって決せられるべき問題であるから、我が国で成立した特許権の効力範囲を定めるに当たって、外国で行われた特許製品の適法な拡布の事実を考慮することが許されるか否かの問題は、正に、我が国特許法の解釈問題であり、このことは前記の各原則に沿うものではあっても、何ら、これらに抵触するものではないことは明らかである。」と。

三 しかし、前述の如く右の判示は、外国(ドイツ)における特許製品の製造発売と云う単一の事実のもつ、二つの側面、即ち「外国において発生した一定の事象」と云う物理的側面と、その結果法律的に発生する「特許権の国内的消盡」と云う法律的評価を分け、後者の効果として、並行輸入を容認すると云う意味での「国際的消盡論」は、パリ条約下の「独立性」に反することを認めながら、前者の側面に着目して、並行輸入国における並行特許の消盡を認めるのは、単なる日本特許法の独立性の範囲内において、解釈として許される範疇に属するから、パリ条約に違反しないと判示する。しかし、事実は一個であり、右の両側面は、単に見方、評価のアプローチを変えたに過ぎなく、一方の見方が、条約違反であり、他方の見方が条約違反でない、と云うことは、それ自体詭弁に近い論理である。単一の事実が、ドイツにおける国内消盡と云う効果と他国(日本)における国際的消盡と云う効果を生ずるとすれば、一見、両効果は、互に因果関係はないとも考えられようが(原審判決の論理である)、その両国での効果が原審判示の如く「実質的に」「特許利益の二重取りの防止」と云う目的から派生した点は、共通しており、しかも、後述の如く、その論理の一貫性をつらぬけば、もしドイツに国内並行特許が有効に存在しない場合は、日本特許の並行輸入品に対する排除力が維持されると解すべきであるから、本件の場合の様に、ドイツに並行特許が有効に存在したがために、一個の事象から同時に、それぞれ一個の並行特許が存在した双方の国において実質的に同一の「消盡効果」が生じたのであり、まさに、実態は、ドイツにおける特許権の排他的効果の発生、存在、消長が、そのまま日本における特許権の排他的効果の発生消滅に影響を及ぼしたことが理解され、この点においてパリ条約四条の二の各国特許の独立性、属地主義に反すると云えるのである。

四 この様に、原判決の論理を分析的にたどって行くと、次のとおりの結論になる。

即ち、原判決の論理によれば、前記に詳述したように、ドイツが発売された並行特許製品(即ち本件ホイール)は、その発売された時点で市場に投入された個々のホイールについて、ドイツ及び日本の両国において特許権の排他的効力が失われるのみならず、将来においても、同一特許を化体する製品については、特許権の排他的効力は及ばないことになる。原審判決は、このようにして生ずる実質的な意味での、特許権の国際的消盡には、例外的に、その効果が生じない場合があると判示するが、(判決文一二丁二行目から六行目)、その場合において、その例外的効果が、個々の製品について生ずるのか、または、その例外の場合を一定のカテゴリー(例えば、強制実施権の場合)に当てはめて認定し、以後、将来においても、そのカテゴリーの範疇において製造販売される製品(強制実施権者の製造販売する製品)すべてに例外的効果を適用するのか、必ずしも、判然としないが、素直な解釈としては、将来にわたっても、原則的に、並行輸入可能品も、例外的な並行輸入不可能品も、カテゴリーとして、区分けをするわけであるから、その限りで、司法判断を越えた立法的解釈と云えるのである。事実、原審判決に対する批判的論述には、原審判決の目指す効果は、立法によって解釈すべきだとする点で一致している(「発明」九二巻一号神谷巌論文)(判例時報平成七年八月一日一五三一号判例評論(いわゆる一〇一匹ワンチャン事件に関する)斉藤博筑波大学教授論文)。特に斉藤氏の論文中、左記に指摘引用する部分は、極めて示唆的である。

「並行輸入が論議されるとき、商品の自由な流通の阻害、国内市場での独占価格の形成、内外価格差、消費者への不利益が論じられる一方、並行輸入を認めるとすれば、世界市場への輸出を前提とした許諾料を支払うことができる者が資力のある企業に限定され、世界市場がそれらの者により独占され、中小企業の発展や国ごとの多様な技術の開発が妨げられる旨の考えも説かれる。いずれにしても、競争政策なり商品市場のメカニズムに焦点を合わせた論議は活発である。しかしながら、それらの論議は、立法論への示唆としては有用であっても、解釈の次元でどこまで説得力を持つのか、それが現行の法制と果たして整合するのか否かについても意を致さなければなるまい。それに、商品流通上の諸々の規制なり慣行、内外価格差など、経済政策の上で解決できない課題を無体財産権法制が一手に背負い込むこともないように思う。」と。

五 右に述べた外、原審判決の論理を追求して行くと、前記に詳述した如く、「二重取り防止」理論に破錠を来すか、または、その破錠をさけようとすれば、パリ条約(独立性の原則)違反をさけられなくなる、と言う二率背反に陥るのである。

第四 特許法以外の分野の法律の解釈との整合性について―解釈の違法性

一 ロイヤルティ課税に関する所得税法の解釈について

(1) 二国間または多国間の国際租税条約及び国内所得税法上、特許権等の工業所有権の使用料については、いわゆる「債務者主義」の国の他は、その特許権等の所在地国(即ち特許権の登録原因である当該国内特許法の施行地)に、いわゆる「所得の源泉地」があるとされ、我が国の所得税法(法人税法)特に、源泉徴収税に関する規定も、その旨を規定している(所得税法第一六一条、法人税法第一三八条、日米租税条約その他の租税条約)。ところで、例えば、日本企業が外国企業である特許権者から日本特許のみの実施権許諾を受け、日本でのみ当該特許製品を製造販売する場合は、その実施権使用料(ロイヤルティ)の源泉地が日本に在することは明らかであるし、逆に、例えば、日本で製造した製品について米国特許のみの実施許諾を得て、米国に輸出販売している場合も、米国のみにロイヤルティ所得の源泉地があることが明らかである。

(2) 我が国の税務当局も古くから、この考えを採っている(昭和三八・九・一四直審(源)六六参照)。因みに、右の国税庁に対する照会を要求した日本のライセインシーが述べた事実によれば、特許権者(実施権許諾者)である米国ダウコーニング・グラス社は、日本には当該製品にかかる特許権を持たず、従って、米国の特許のみのライセンスを付与したのであるが、ライセンシーは、当該製品の製造自体は日本で行っていた事例である。この場合、日本で製造された製品が、ライセンシーによって、直接に輸出されれば、これに対するロイヤルティを支払い、ライセンシーの意図やライセンス契約の反対の規定の如何にかかわらず、ライセンシー以外の第三者によって、日本国内で一応は合法的に(しかも、米国輸出品のみに上乗せされるロイヤルティ分だけ差し引いた国内価格で)調達された製品が、米国に間接に輸出されれば(即ち「並行輸出」されれば)、ダウコーニング社は、この並行輸入品を米国特許により阻止できないことになれば、明らかに不合理である。何故なら、契約上ダウ・コーニング社は、米国特許に基づいてのみ特許権の利益を稼ぎ出すことが許されていることが明白であり、日本両国にわたる「特許利益の二重取り」はないからである。日本の国税庁もこの解釈により、ロイヤルティー所得の源泉地を米国と認め、日本における源泉所得税の支払の必要はないと答えているのである。即ち、並行特許の存在しない国からの並行輸出は、輸入国の特許侵害になるから、輸入国の法律上許容すべきでないと解釈する合理的根拠が、ここにも示されている。(「国際税務」三巻四号昭和五八年四月小松芳明解説)

(3) 右の事例に対し、ライセンサーが、日本及び外国においても並行特許を持っていた場合に、ライセンシーに対して、並行特許の「在る国」と「無い国」とを通して、輸出製品について一律に一定のロイヤルティを課した事例がある(東京地裁昭和五七年(ワ)第三一二八号事件昭和六〇年五月一三日判決)。この判決では、結局、ロイヤルティの源泉地は、特許権の基本である製造権を実施した「製造地」の存する日本であるから、輸出分についてのロイヤルティに対しても、日本の源泉所有税を徴収すべきであるとされたのであるが、その判断の実質的根拠は、特許のある国もない国も、一律に同率、同額でロイヤルティを課したのであるから、実質的には、製造段階における特許の使用・実施についての特許料を支払う趣旨の契約だとされたのである。即ち、国際的特許消盡論が建前として理想像として想定するところの各国一律のロイヤルティの設定が現実になされた事例であり、その限度において、国際的消盡論に組するようにも見られる。しかし、この判例の解説(「国際税務」第六巻、二号昭和六一年二月、品川芳宣氏解説参照)にも正当に指摘されているように、各国において並行特許が存在する場合に、各国に対する輸出品に対するロイヤルティが異なる場合や、製造地と消費地(販売地)の間のロイヤルティの配分が契約上明確にされていた場合には、各地に特許に応ずるロイヤルティ所得が発生すると考えられているのである。即ち「特許利益の二重取り」をその意味で容認しているとも云えるし、また、各国の特許に応じて、それぞれロイヤルティを徴集することが必ずしも不当な「二重取り」ではなく、各国の特許の利益の正当な配分と考えられている、とも云えるのである。いづれにしても、並行特許の存在する場合に、特許利益の回収の機会は、最初の発売国一国についてしか認めないと云う国際的消盡論は、租税条約及び国内租税法の原則にも全く反する法解釈理論を土台にする、はなはだ、冒険的な突出した司法判断である。

二 商標法上の並行輸入理論との対比

(1) 商標法の保護法益と基本原則は、品質保証力、出所明示力、自他識別力である。並行輸入品は、これらの保護法益、商標の効果を基本的には侵害しないものであるとして、学説判例は、これを許容している。原審判決はこの点につき、左のとおり判示する。

「また、外国において商標登録をしている商標権者が、我が国においても同一商標につき商標登録を受けている場合における真正商品の並行輸入については、商標の機能の保護を重視し、商標機能が実質的に害されないことを理由に、商標権侵害に当たらないとする考えは、基本的に容認されているところであるが、特許権の効力について国外における同一権利者等による適法な拡布の事実を考慮しないと、当該商品の全部又は一部が特許権の保護対象となっている場合には、実質的に商標商品の並行輸入を禁止するのと同一の結果を招来する。」

(2) ところで、商標については、企業は、その性質上各国において、自由に、様々の商標を使い分けられる。現に日本製の自動車の場合、同一の車種についても、日本向けの車名と米国向けの車名とが違い分けられている。左に示す乙第一三号証にも、その例が多数あげられている。

「しかし、これらのモデルはいずれもアメリカ製ではあるだろうが、アメリカで開発されたものではない。言うまでもなく、コルトは三菱・ミラージュだし、NUMMIの車はトヨタ・カローラだったり、スズキ・カルタスだったりする。そしてフォード・エスコートはマツダ・ファミリアがベースだ。」と。

右のような場合、他国で有名ブランドとなっているブランドの商品を並行輸入する動機がない。即ち輸入品について著名商標の「只乗り」が行われにくい。ブランド商品について、並行輸入を許容する法解釈が商標権の本質に根差すものである以上、一般的に、実務的に、受け入れやすい理由の一つは、ブランド所有者にとって、並行輸入業と言う、言わば、ニッチマーケット乃至グレイマーケットに対して、様々の流通販売対策がたてやすいことであることを裏書している。これに対し、特許権・発明は代替不能のものであり、並行輸入に対して単なる流通上のマーケティングによる対応がしにくいのである。更に商標権の保護期間は、何度でも更新可能であり、その意味で半永久的な権利である。(特許権の期間は限定されている)それだけに、一度商標権上、有利な地位を確立すると、相対的に、乱用の危険の生じやすい権利である。並行輸入許容の例外も、規範的に一律に定義しやすい、例えば、商標法の解釈上、許容される並行輸入の例外的場合の一つに、品質が劣る並行輸入品の輸入があり、これは商標権侵害として、止められることになっている。品質の判定は、一応の基準がたてやすいし、また、消費者自らも、これを判別して、行動することが期待されている。そもそも、商標の本質的機能は、一般購買者に対する商品の標準的品質の表示、保証なのである。

しかし、特許製品については、各国から流入する製品の品質の差によって、日本国内における扱いを異にする理論はたてにくい。むしろ、特許製品は、本来的に新規なものであり、「標準的な品質」の設定には、必ずしもなじまない。商品に化体された技術の新規性、特異性に特許商品の競争力が存するのである。必ずしも、「高級品」である必要はない。これに反しブランド品には、機能・品質等において、同等の代替品が多くあることが普通である。むしろ代替性がないのは、「ブランド自体」のイメージであり、その情緒な価値があるに過ぎないことが多い(いわゆる高級品のイメージである)消費者にとって、そのブランド(商標)でなければ機能、品質上、かけがえがないことはない。繰り返し述べるようにブランド(商標)は、消費者の品質選択を容易に確実にすることが、基本機能である。したがって、消費者の信頼の保護と言う意味で、公益性が強い。商標の登録要件もゆるやかである。即ち、所謂登録主義の法制においてすら、登録により排他力が生じる故に価値があるのでなく、即ち、本質的には商標自体の価値があるのでなく、それに化体したグッド・ウィル(信用)に価値があるのであるから、登録要件自体を厳しくする必要はないのである。これに反し、特許権の本質は、排他力にあるわけであるから、登録要件は厳格である。

なお、傍論であるが、本件において、被上告人が主張し、原審判決が暗に認め、原審判決に好意的な評論が思い込んでいるに反して、上告人ドイツBBSが本件提訴以前に商標権にもとづき並行輸入を阻止しようとして果たさなかったと言うのは誤解である。(名古屋地方裁判所昭和六〇年(ワ)第一八三三号事件、昭和六三年三月二五日判決)(ドイツBBSはこの事件の当事者でなかったし、訴提起時には、商標登録権者でもなかったのである。原審判決理由の摘示にこのことは、明示されていないが、控訴人(被上告人)の主張事実には入っており、原審判決も、右に引用したとおり、暗に、商標権に基づく並行輸入の阻止に失敗した同一メーカーが、特許権を利用して、同じ製品について並行輸入を阻止しようとすることは、脱法的迂回であるから、許されないと云う判断を示しているので、(原審判決中一一丁)この点の誤解のないように改めて指摘しておきたい。なお、原審判決は、商標権と特許権との相異を認めながらも、これを知的財産権として一括し、その機能(と言うより、むしろ配慮すべき結果と言うべきであるが)の一側面に過ぎない自由な商品取引、流通の安全性と権利の利益の調和の確保を説くが、そもそも、知的所有権法のみならず、あらゆる法律は、様々な利益の調和を基本的理念とするものである。この点の立論は、粗雑にすぎると言うべきであり、納得し難い。

(3) また、原審判決は、前記のとおり、同一製品が商標権と特許権の双方を化体している場合に、商標権の発動が抑止されたからと云って、特許権の発動によりその同一商品の並行輸入を阻止することは、許すべからざる「法律の回避」であるかの様に説示するが、この点は、「法律の合目的性」を考えれば、全くの暴論と云わざるを得ない。前記の様に、原審判決自体のパリ条約の解釈のレトリックが、言わば單一の事実の多面的様相を認め、その様相の見方により、法律的結論がパリ条約の特許独立の原則に反したり、反しなかったりと云う論理である。その理論で行けば、一個の商品が、商標権について並行輸入許容の判断を下され、特許権について、排他力を認められても、何ら不自然ではない。原審は、単に権利の乱用の場合を想像しているに過ぎず、本件において、上告人が、その意味で権利乱用をした事実は全くなく、まして、控訴審判決にいたる事実審理においてこの点の審理もなく、釈明権の行使もない。判決理由の齟齬、審理不盡と言えよう。この点にも、判決理由の矛盾が見られるのである。

(4) なお、この点について欧州連合内においてすら、商標品の並行輸入を一律に禁止する方向を少しづつ修正する判例、学説が出て来ていることは参考に価しよう。

欧州連合(EU)内における、この新しい流れは、最近のリーディング・ケースとして、日本でも種々の論説に取り上げられている「アイディール・スタンダード事件」がある。それらの論説の一つ(エヌ・ピー・エル五六四号一九九五年三月一日、神谷光弘氏論文「EU市場における並行輸入問題の新展開」)に左の通り説明されている。

「欧州裁判所も商品の移動の自由と知的所有権の保護の調和については腐心してきた。当初、欧州裁判所は、知的所有権の保護よりも商品の移動の自由を重視する立場を示し、少なくとも商標権については、広く並行輸入を認める判決を下した。しかしながら、一九九〇年に、著名な第二HAG事件で方向転換し、知的所有権の保護についても一定の配慮を示すようになった。そして、昨年六月二二日に欧州裁判所の大法廷が下したアイデール・スタンダード事件判決EU市場においても知的所有権の多くが加盟国ごとに付与されており、また、国際的にも知的所有権の地域性・独立性が認められているという現状に配慮して、知的所有権の保護に一層のウェートをおくという画期的判断を示している。」と、

三 著作権の解釈・立法との整合性

(1) 原審判決は、前述の如く、商標権と特許権との性格、保護目的、等差異を認めつつも、国内的消費論、ひいては国際的消費論の立場からは、権利の排他的を流通の流れの中で繰り返し行使する「利益の二重取り」を許すべき理由はない、と判断している。言うまでもなく、著作権は、新規性がなくとも独創性があれば、成立する権利であり、その意味で理論上は、複数の創造的著作物(つまりマネでない)が有り得るから、著作権の排他力は絶対的な物でないし、また映画著作物を除けば領布権も内から、若干弱い権利と言えなくもないが、実際上は、特許権と同じく、排他力をもつと見て差し支えない。それがために、「権利料の二重取り」の可能性は、特許権の場合と同等である。寧ろ、著作権には、上演権、映画化権、録音権、放送権などの友分権の種類が多く、例えば、小説家は、小説の出版と映画と、演劇と三つの商業化の方法によって、権利料の三重取りをすることも珍しくないのである。さらにいわゆるコンピューターのソフト・ウェアについては、法律上も、契約上も、複製の観念を大幅に拡大し、もし厳格に解釈をすると、権利料の何千回、何万回の重ね取りになりかねないのである。このような事情であるが、いわゆる「一〇一匹のワンチャン事件(東京地裁平六・七・一・判例時報一五〇一号七六頁)」においては、裁判所は並行輸入論を退けた。しかし、原審判決の「二重取り防止論」を知的所有権一般に適用する立場からすれば、早速著作権にも適用されるおそれがある。特に、著作権に就いては、万国著作権条約により、要式主義を原則として廃止したから、特許権のように、国によって、「並行特許」の有無の差が生じることはない。

従って、右の「一〇一匹ワンチャン事件」の評者も、映画の著作物以外には、この判例の適用がなく、並行輸入が阻止できないおそれがあるので、「何らかの立法的手当が必要なのではないか」と危惧している。(前掲「発明」神谷論文)。

(2) 実際では、コンピューターのソフト業界では、無断複製物の市場流入を防ぐため、ソフトウェアを記録した媒体(フロッピー、ハードディスク等)自体の転売、譲渡を禁止したり、貸与とか使用許諾契約にして、「権利者利益」をなるべく多数回行使しようと努めているのが実情である。それでも並行輸入は阻止しきれない。事実、最近の米国最大のソフト・メーカーであるマイクロソフト社が、最新の「ウィンドウズ九五」というソフトを平成七年八月二五日にニューヨーク市で売り出したところ、同日すぐに事前に並行輸入者が現れたと報じられている。(日本経済新聞平成七年八月二四日、二五日号)。興味を惹くのは、この場合、並行輸入物の方が当然ながら高い小売価格になっているということである。原審判決の論理は、昭和四四年のいわゆる「ブランズウィックのボーリングピン事件」以来、少なくとも司法判断としては、異論のだされたことのない特許法上の判例をくつがえしたばかりか、著作権(ディジタルレコード等)の最先端分野においても、混乱を増長させることは必至である。

第五 原審判決理由の不備―事実認定の疎推さ―審理不盡

一 本件事実認定自体の粗さ

(1) 本件第一審判決に論評して、原審でも被告側の証拠として提出された渋谷達紀教授の論評は、第一審判決の論評として次のとおり述べている(乙第三〇号証「特許ニュース」平成六年一一月一五日)。

「私見では、判旨が述べる理由は、少なくとも本件の解決にとっては、ほとんど無関係なものと考えられる。なぜなら、本件のXは、わが国の企業に特許品の製造ライセンスを与えていたわけではなく、完成品をわが国に輸出していたにすぎず、それゆえXのライセンス意欲の減退を懸念する必要はないからである。判旨が指摘する理由により並行輸入の禁止を基礎づけようとするのであれば、わが国の企業に製造ライセンスが与えられている事例とそうではない事例とを区別して論ずる必要がある。」と。

(2) 先ず、指摘する必要があるのは、右の論説の基礎となる事実認定に誤りがあることである。無論、論評において事実の指摘に誤りがあるからと言って、第一審判決、さらに原審(控訴審)判決の事実摘示に誤りがあったことにはならないことは、当然であるが、しかし、公表された判決の事実認定に粗雑さがあったことの間接的な裏付けにはなる。本件においては、上告人は、本件提訴に先立って、既に、訴外日本ビー・ビー・エス株式会社及び同社による製造委託先として指名された訴外ワシ・マイヤー株式会社という日本の会社に本件日本特許の実施権を与えており、この実施権に基づき、日本ビー・ビー・エスは(及び場合によりワシ・マイヤーも)、実施料七パーセントを支払って本件特許の実施製品である自動車甲アルミホイールを製造し販売していたし、現在もこれを継続しているのである。(このことは、一審及び控訴審を通して、上告人は主張において、述べている。)。

ワシ・マイヤーが製造した製品は、日本ビービーエス株式会社を通して販売されていたのである。日本ビービーエス株式会社は、上告人の分身的な所謂完全子会社ではなく、上告人と資本的にも技術的にも関係のない右訴外ワシマイヤー株式会社との折半投資による合弁会社なのである。また、ワシマイヤー自体は、ドイツBBSとも日本ビー・ビー・エスとも本件合併関係以外には資本的に全く別の会社である。

(3) このようにして、上告人は渋谷教授の論説によれば、まさに「並行輸入の禁止を基礎づける」に適した「我が国の企業に製造ライセンスが与えられている事例」であったのである。しかるに原審判決は、この重要な事実の確認を一切することなく、独断的に、単純な「二重利得の防止」の立法論的な根拠のみをもって、上告人の訴えを退けたのである。この点において、原審判決は、判決に影響を及ぼす重大な事実の誤認を犯したのである。原審裁判所の審理不盡は明らかであり、その違法は、判決に重大な影響をあたえるからである。原審判決は、取消されるべきである。渋谷教授は、更に、次のように述べている。

「また、かりに判旨がいうように、並行輸入の許容によりライセンス付与の動機が弱まり、それが各国の技術発展を阻害することがありうるとしても、それは並行輸入に適した、限られた範囲の商品に関する技術にとどまるであろう。並行輸入に適した商品とは、たとえば、①国外の仕入原価が安く、内外価格差が顕著な商品、②ブランドが周知で国内販売のため宣伝費をかける必要がない商品、③国際的に流通しており、仕入ルートが複数存在する商品、④品質管理やアフターサービスの必要性が低く、取扱いも簡単な商品、⑤輸入総代理店が流通ルートや取扱商品の種類を制限しているため国内の品揃えが不十分な商品などである。これら以外の商品については、並行輸入は簡単に行われないであろう。したがって、並行輸入を許容することによる影響は、比較的狭い範囲にしか及ばない。」と。

この観点からすれば、本件ホイールは、③の点を除き、いづれも並行輸入に適した商品とは言えないが、(ワシマイヤー副社長 吉村勝則の報告書及び日本ビー・ビー・エスの取締役、福元英明の報告書参照)日本ビー・ビー・エスが設立され、本格的な現地生産と販売活動を始めるまでは、後述の通り、少数の趣味的なユーザーのために、若干の並行輸入があったことは事実である。しかし、重要な点は、これらは、長年の努力の結果本件日本特許が成立する前のことであり、しかも、BBS商標については、他者が登録しており、ドイツBBSは、成否の見込みはともかく、商標権による並行輸入の阻止すら請求する立場になかったことである。

原審判決は、この点についてほぼ、右と同旨の認定をしている。しかし、その認定は、具体的な事実や数字の裏付けを欠くという意味で、単なる学者の空論ともいえるものであるが、よしんば、百歩譲って、この仮想的理論が正しいとしても、正に、並行輸入の許容が及ぼす経済的効果が少ないからこそ、かえって世界の各文明国において、近代資本主義に先立つ歴史をもち、近代資本主義の下に産業の発達の原動力となった発明・技術改進を奨励し促進する特許制度という普遍的妥当性を持つ制度の理論的核心を崩すような理論を、現在の国際的共通の認識に反してまで、突如として導入する必要があったのか、極めて疑問であるといわざるを得ない。「角をためて、牛を殺す」の例えに似ているのである。

(4) のみならず原審判決自体の立論も、左のとおり相当に矛盾したと思える認定を行っているのである。即ち、一方において、

「この両者の利益の調和について、前記のように、特許権者等による特許に係る製品の適法な拡布があった場合についてみると、特許権の効力が適法な拡布の後にまで当該特許に係る製品について及ぶとすると、当該製品の移転にはその都度特許権者等の同意を要することになり、かかる事態は、取引の安全を害することはなはだしく、特許に係る製品の流通を妨げ、ひいては、産業の発達を著しく阻害することは明白である。」

と判示して、消盡説を、「取引の安全」「産業の発達」と言う、マクロ的視点に立って、普遍的な公共的立場から、確たる実証的な根拠も示さず支持しながら、他方において、

「特許に係る真正品の並行輸入は、外国において一旦適法に拡布された後の特許に係る製品の輸入である以上、その数量及び価格にも自ずと一定の限界がある」

と述べて、並行輸入自体の経済的影響力を低く評価しているのである。

二 「並行輸入」の実態―経済取引の中での比重

(1) ところで特許権は、製造権、販売権、使用権の三つの支分権に分かれると云われる。しかし、特許制度が、企業家の利益追求、独占欲を刺激することによって、創造的な発明、技術開発を奨励する制度であるから、「販売権」も、現実的には、製造権と同等以上に最も価値ある支分権である。

特に、商人資本にとっては、販売利益のみが目的である。製造活動が、保護の根幹と言えようが、製造物を売り出して、はじめて製造利益を現出することができるのであるからである。ここで重要な点は、並行輸入業者は、転売利益のみを目的とする商人である、と云うことである。特に、所謂ニッチ・マーケット・グレイ・マーケットと呼ばれる類の並行輸入品市場は、少なくとも最近までは事実として、殆ど、小規模の商人資本によって占められ、従って、商品開発や、販売ルートの確立などに投入する資本・努力は、メーカーに比して少ない。その意味で、両者の利益の保護を、並行輸入の是非と言う観点から比較考量する場合、産業の発達と言う公益目的からすれば、並行輸入の経済的効果が少ない現状において、産業資本・メーカーの保護に重点を置くべきである。

(2) 商品が一度「流通におかれた」と云っても、メーカーが製品を販売する方法には、(イ)自ら小売店舗を置いて直販する場合、(ロ)問屋↓小売店という販売方法をとる場合、(ハ)無店舗販売の場合等と多様である。問屋に対して、転売先を制限することは、少なくとも、輸出の場合(つまり、いわゆる「直接輸出」(ジュリスト・一九九五年四月一日号座談会の村上教授、石黒一憲教授の発言参照)の場合に、日本の公正取引委員会のガイドラインも輸入国にメーカーが特許を持っている場合は、制限できると言う立場をとっている。(控訴人平成六年一一月二九日準備書面)。しかし、この制約も私人たる当事者間の単なる契約であるから、実務的には、契約上の義務を負うのは「他に輸出する意図があることを知り、または知り得べき場合」に限られることが殆どの場合である。

しかも、現実には、いわゆる並行輸入業者は、その様に転売先、転売方法により契約的な制約を受けているメーカーの一次的顧客、販売店(いわゆる正規販売店・輸出業者)から、直接に「流通におかれた」商品を買っているのではない。何故なら、右の様な地域外輸出について制約を受けている一次販売店は、様々な契約上の違約効果(契約の破棄、損害賠償)を無視してまで契約違反を犯さないからである。従って、エンドユーザーか、または契約違反をした二次問屋、三次問屋から、買っているのである。つまり、この場合、並行輸入者が買うのは「自由な、無制限な流通」におかれた商品ではない。少なくとも現状では、言わば、出自としては契約違反という負い目を背負った「うしろめたい」製品とも言えるのである。世上、並行輸入品の業界を「グレイ・マーケット」(灰色の市場)と呼ぶのは、そのためであろう。(ドイツ及びヨーロッパ諸国の特許法公正取引法及び解釈はこの様な商品の流通は保護しない―小野昌延鑑定書、その他の証拠書類に明らかである。なおドイツシャデル弁護士の手紙参照)

他方で日本のメーカーは、ドイツBBSの日本特許の実施権を得ることなしには、造れないし、また、生産のためには、実施権料のほか、生産設備、労働力の確保等の投資を必要とする。(吉村報告書)従って、短期的には、並行輸入品より高い価格を設定せざるを得ない場合も生じよう。これに対し、単なる輸入業者は、自由に輸入販売できるし、価格設定も、短期的な商品回転、価格戦略を取り得るので、時として、現地生産者より価格競争において勝つことがある。そうなれば、日本でライセンス製造をする動機付けは失われ、そもそも特許制度の目指す目的である国内産業の振興に逆行し、「国内産業の空洞化」を助長するだけである。

(3) 並行輸入業者は、端的に言って、利益になる、儲かるから、並行輸入するのである。「消費者の利益のため」と云うのは、美辞麗句に過ぎないのである。何故買い手がつくのかと言えば、端的に言って、外国の市場価格の方が相対的に安く、日本での販売経費、輸送費等を加算しても、このようにして、時として正規な輸入業者の売値が高い市場状況が造られることがあるからである。(ハロルド・ベグナー教授意見書、小野昌延博士意見書、松居祥二氏意見書は、すべて、これらの状況を観察し、並行輸入の逆効果を説いている。)しかし、必ずしも、日本の正規輸入業者が、不当にもうけているわけではない。ドイツのメーカーはドイツの国内価格より、対日輸出価格の方を、日本における並行特許権の独占力の存在ゆえに、相対的に高めに設定してあるかも知れない。特許製品の市場的価値は、他の第三者の代替品の特許の存在等の様々な外部的要因に影響を受ける相対的なものである。しかも、多くの場合、輸入市場における売値を高めに設定してある理由は、前述の如く輸入国における販売宣伝費の投下、安全確保のための保守管理体制の維持(従って、出所・経路の不明な並行輸入業者の販売した製品の保守サービスは、通常受け付けない)等の特許外の経済要因によるものである。

(4) なお、「二重取り防止論」は、輸出者と輸入者が同一企業の場合や、親子会社である場合を特に「二重取り」防止の標的とするようであるが(その一例として、前記ジュリスト誌一九九五年四月一日号の座談会)、現状は、各国において関税法、所得税法上、親子会社の間の所謂「移転価格」の問題がきびしく、メーカー・輸出者は、自国の国内価格より外国の輸出価格を不当に安くすることはできないのである。いわゆるダンピング禁止法令によって、輸出国の市場価格より低い価格はもとよりのこと、「正当な利益」を上乗せした輸出価格を設定せざるを得ないのである。従って、輸入価格自体は、一定の価格より下げられないから、輸入国内における市場価格が高くなるのは、前記のような特許制度の外側の経済要因によることが多い。これに反し、並行輸入業者は、通常「並行輸入品」であることを様々な方法を通じて、陰に陽に購買者に知らせることによって、並行特許権者(乃至正規の輸入販売者)の努力によって、その特許品たる故に製品が有する新規性、先進性に基づいて、需要者市場において築き上げた製品の「販売力」に「ただ乗り」するのであるから、その分「労せずして得る」販売利益が多いのである。(所謂「フリー・ライド」であり、下世話に言えば、「他人のふんどしで角力をとる」の類である。)のみならず、報ぜられるところによれば、並行輸入者の実態は、前述の如く、多くは、いわゆるアウトサイダー的な「ニッチマーケット」(すき間市場)を狙って来る収奪的な業者である。そのニッチマーケットは、為替変動、特に急激な円高に見られる内外の価格差の突発的発生などの法律外的な経済要件によって作られる。最悪の場合、このようなアウトサイダー的、冒険的商人資本は、やくざ的な資本であることが報じられている。例えば、有名ブランド品である、ルイヴィトンやエルメスのバッグの並行輸入業者は、マネー・ロンダリングを企てたやくざ資本であったと言われる(米国のノン・フィクション・ライターであるジェフリー・ロビンソン氏の著作になるベスト・セラー、Money Launderorには、パリで日本のやくざ資本がルイ・ヴィトンやエルメスのバッグを仕入れる話すら真実性をもって書かれている。(同書二一〇ページ参照)

(5) 文明各国において禁止されている麻薬の価格がなぜ高いか、もうかるのか。無論、並行輸入許容者は言う。「麻薬取締法があるからである。」と。例えば、マリファナ解禁論がある。もし、これらを合法化してしまえば、麻薬密売人はいなくなる。なぜなら、もうからなくなるからと。

この理論によれば、並行輸入を許せば、メーカーは、輸入国での販売価格を下げざるを得ない。つまり、並行輸入価格に近くなる。そうすると並行輸入業者は、もうからなくなるから、いなくなると。しかし、並行輸入品がいわゆる正規輸入販売品と較べて短期的に見て、ユーザー売渡し価格が安い場合が生じるのは、様々な、しかし、為替レートの急激な変動などの多くの不安定的な要因によることは、識者の一致して説くところである。前出の評論(判例時報 斎藤博)が疑問を投げかけているように。

「特許制度が、これらの是正をすべて背負わされること」は間違いである。のみならず、それが、日本経済に好結果をもたらすとは必ずしもいえない。一審判決が正当に指摘するように、特許権の「排除力」を一律的に否定してまで、これとひきかえに守る「保護法益」があるとは思われない。

(6) 右の点、即ち、並行輸入はいわゆる内外価格差を縮める作用を果たすと云う点は、少なくても、原審の理由付けでは、証拠に基づかない独断である。(本件では、前述の如く、日本ビー・ビー・エスが販売しているのは、ドイツからの輸入物だけでなく、ワシマイヤーによる現地生産製品であることをしばらく措くとしても)事実としては、並行輸入品を買う消費者は、価格の安さに惹かれて買うのでないことが多いことは、一審の被告側が提出した証拠によって、明らかである。特に、本件ホイール製品のように、言わば、高級な贅沢品、乗用車のうちでも、速度の速いスポーツカータイプ(R.S.はラリースポーツの略である。)の車に装着されることの多い輸入品については、特定の趣味人的選好により、ユーザーが並行輸入品を購入する傾向があることは、控訴人自身が提出した乙号証(乙一四号証)にも明らかである。この乙一四号証の自動車専門の雑誌は、自動車の並行輸入を特集しており、その中に左のとおりの記載があるので、冗長であるが、引用する。

(イ) 「ただし、日本市場の要望が高まらないかぎり、正規輸入の可能性は低いようだ。」

(ロ) 「こうした、いわゆる「並行輸入車」を今回は取り上げてみた。どうも「並行輸入車」というと、超高級な輸入車やバブルの時代の名残のようなイメージを持ってしまうが、正規の輸入ディーラーでは取り扱っていないが本国ではわりと普通に走っているようなクルマを中心に、ちょっとこだわった輸入車を求めている人のための並行輸入モデルを紹介してみたい。ただし、1台や2台輸入しただけ、アフターサービスが期待できないようなショップのものを読者に紹介するわけにはいかない。」

(ハ) 「最近は正規輸入車が続々値下げの傾向を見せているので、並行輸入車も安さを感じさせてきた。しかしドイツ車の値下げ具合はイマイチ。そうした中で本来低コストさが身上であるはずのC180はまだ当分日本で存在意義が高まることはないだろう。即ち、正規インポーターが本気でC180を導入するようになるのはたぶん輸入車のシェアがまず10%以上に上がった後、日本車と正常な価格競争にもつれ込む時の切り札とされるまで見送られよう。そうした長いスパンを見た地道な価格設定が並行輸入のC180でおこなわれれば、評価はおのずと高まっていこう。一方、SL320は正規輸入のラインに入らないのがおかしいと思えるほど現実的なモデルだ。870万円という並行輸入価格は3.2l車には依然高額だが、技術内容の濃さと完成度の高さからすれば割り高感があっても説得力はある。正規輸入の見込みは大だ。」

「旧300SLより格段に力量を増したSL320はなぜ正規輸入がなされないのか不思議なほどきちっとしたキャラクターを備えるモデルだ。」

(ニ) 「ただし、この値段はあくまで車両本体価格であって、これに車検取得までの改造費用が50?60万円かかるという。このあたりが、正規輸入と並行輸入の差なのである。」

(ホ) 「並行輸入車を買うというのには、正規輸入車より安い、あるいは早く手に入る、そして正規輸入される見通しがない、などの理由が挙げられる。この最後の正規輸入される見通しがないのに、どうしても欲しいという場合は、やはり並行輸入に頼るしかない。ここで紹介するクリオ・ウイリアムズはまさに輸入される見通しがないのに、何が何でも欲しくなってしまうという類のクルマだ。」

(ヘ) 「まず、なぜ並行輸入車を買うかという点にスポットを当てたい。昔だったら、正規輸入車よりも明らかに安い価格が魅力だった。しかし、今は価格魅力は薄れ、むしろ正規ディーラーが導入前に最新のモデルが手に入ったり、あるいは正規ディーラーが扱っていないモデルが手に入るということの方が、大きな魅力となっている。

前記のことを頭に入れると、並行輸入車については、極端な話、大きく二つに分けることができるだろう。まずひとつは、「価格コンシャス」。確かに依然ほど価格的なアドバンテージは薄れているが、アメリカ車を中心に、正規ディーラーよりもかなり安価に販売されている車は多い。例を挙げれば、シボレー・カマロ、コルベット、アストロなどのGM系モデル。そして、アメリカを経由するヨーロッパ製のモデル。人気はポルシェ、ボルボ、BMWのM3やM5などの高性能モデル、そのヨーロッパモデルは、戦略的にアメリカ市場では本国よりも大幅に安い価格を付けられているからだ。

輸入車の年間新規登録台数は、およそ20万台。このうち並行輸入車は8?9%にあたるという。そのうち、並行輸入会社の最も大きな組織、Faia(外国自動車輸入協同組合)の扱い量が全体のおよそ5%といわれる。つまり並行輸入車は、年間1万6000?1万8000台あるというわけだ。

もうひとつ覚えておいた方が良いことは、こうした趣味性の高い車は、まず採算ベースに乗る車が少ない。したがって当然ながら価格が高くなるか、もしくは装備が簡略化されることになる。たとえ100万円のネオンでも、現地の輸送費、保険、船賃、日本にやって来てからの通関料、輸送費、ナンバー取得料など考え合わせると、楽に50?60万円近くはかかってしまう。もし自分でやるとなると、それに加えて貴重な時間と労力が追加される。こうした場合、並行輸入を輸入代行と考えれば、ある程度は納得できるだろう。

そして、こうした車は、まず正規ディーラーが整備を行ってはくれない。また、正規ディーラーが入れている車でも、時として診てもらえないことがあることを、頭に入れておくほうがよい。」と。

(7) 右に長々と引用した記事からも明らかなように、並行輸入は、事実としては、生活の必需品ではなく、趣味性の高い稀少品や高級品の分野で、行われて来たのである(本件ホイールも、高級品に属すると言える)。

(8) なお、原審において控訴人が主張し、原審判決も指摘する自動車の並行輸入が事実上黙認されて来たのは、完成人と部品との関係に根差す、契約上の習慣によるものであることは常識である。すなわち、完成車の輸入の場合は、自動車メーカーが部品業者から部品を調達する場合に、完成品に装着されて輸入され、または完成者に不可欠な修理部品として輸入される場合は、それらの部品に関する特許権の行使を放棄させているからである。「特許消盡論」と云うようなまわりくどいフィクションではない。

単に完成品の商品流通の効率性と安全性及び修理部品の入手容易性の確保がはかられているのである。このように自動車やコンピューターのような多数のいわゆる「ハイテク」部品から構成される「完成品」のメーカーは、特許製品である部品を購入調達する際に、特許部品の使用権に地域的制限がついている場合には、完成車に組み込んだ部品については、完成車が地域外に輸出される限り、組み込まれた部品も、特許の保護・排他性に関わらず、地域外に自由に輸出できるとされる約定になっている場合が殆どである。部分メーカーが、第三者から特許ライセンスを得て製造し、これを完成者メーカーに納品する場合にも、当該の特許権者たるライセンサーから同趣旨の約定を得ている場合が殆どである。そうでなければ、完成品の自動車やコンピューターのメーカーは、多数の部品の特許権の地域的制約に縛られて、輸出できなくなってしまうことは自明である。さらに、本件において被告控訴人が形容する「ハイテクのかたまり」と言う自動車のこれら完成品については、完成品自体について特許が取得されている場合はむしろ少なく、部品や製造プロセスについて特許が取得されている場合が多い(例えばBMWの場合日本の有力特許データベースであるパトリスで調べると、BMW社が持っている特許は極めて僅かである甲第四一号証)

このように自動車について並行輸入が習慣上許容されているとは言い難いが(乙一四号証自体もそのことを認めている)、並行輸入が黙認的に行われたとすれば、それは、多くは右の特殊事情によるのである。(甲四二号証、「技術導入契約の手引き」、松永芳雄著、日刊工業新聞社(昭和四四年五月刊)三三ぺージ)

第六 国際的信義の違反―先進各国における国際的消費論の現状

一 原審判決は、「(二重取り防止論は)、我が国の経済取引において、取引の国際化が極めて広範囲、かつ、高度に進展しつつあるとの公知の現代の国際経済取引の実情を踏まえると、より一層の強い妥当性を有することは明らかなところである。」(判決十丁乃至十一丁)と述べ、更に、「知的財産権者の保護の要請と社会公共の利益の保護、特に商品の市場における自由な流通を保証して産業の発達を図ることの要請との調和」の必要性を説いている。しかし、国際取引の調和や国際取引における自由な商品流通を実現するためには、その基盤となす法体制の調和をまず達成し、維持することが不可欠である。幸い、日本においては、ブランズウィック事件以来半世紀の間、特許製品の並行輸入の阻止を一般理論(二重取り論、消費論)にもとづいて、禁ずる判例は出なかったし、立法もなかったのである。その意味で、実務界においては、法的安定性を得ていたというべきであろう。これに対し、並行輸入は事実として合法的なものとして認められて来たから、慣習になったというのは、巷にいう、「賭けマージャン」や「賭けゴルフ」が長年黙認されてきたから慣習法として合法になったというに似た強牽付会の理論であり、前述したように、実証的裏付けの極めて乏しい粗雑な理論である。

二 これに反し、国際的には、特許の国際的消盡論は、極めて少数派である。立法論はともかく、司法的前例としては、先進諸国では、殆どなく、この点で、原審判決は、国際標準から突出した異見であると言わざるを得ない。その論拠として、現代の国際的法曹界において数多くの実績と名声を有する左記の意見書、鑑定書を提出する。(第七、(1)・(2)・(3)及び(4)記載と同じ)

(1) 小野昌延博士の鑑定書(及び経歴書)

(2) 松居祥二弁理士の意見書(及び経歴書)

(3) 米国ハロルド・ヴェグナー教授の鑑定書(英文及び和訳)

(4) ドイツカール・バイヤー博士の鑑定書(独文及び和訳)、並びに経歴書

右各鑑定書は、委詳を尽くしており、解釈的な多言を要しないが、国際的並行輸入許容論が、現状において、国際法曹界における法解釈学としては、特異であるにもかかわらず、原審の判断は、一刀両断的にこの異説を根拠にして並行輸入を容認したものであるから、原審判決は理由に齟齬があり、審理不盡の違法を犯したことは明らかである。

上告代理人兼上告補助参加代理人竹内澄夫の上告理由

上告人は、上告理由を第二、第三、第四、第五、第六として分説したが、念のため補充すると、「条約違反」については、憲法第九八条(最高法規、条約及び国際法規の遵守)違反、特許法違反については、特許法第六八条(特許権の効力)、第一〇〇条(差止請求権)、第一〇二条(損害の額の推定)の違反、民事訴訟法違反については、第一二七条、第一八五条、第一九一条(判決書の記載事項)、第三九条による審理不盡、判決理由の齟齬の違反を根拠とするものである。

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